こんにちは、”タカヒロ”です。
2.悩みの半分は他者のせい、分人の集まりがわたし
3.好きな分人を中心に据えることで自分が好きになる
4.考察
この記事は、”「私とは何か「個人」から「分人」へ」 平野啓一郎”を読んでのまとめ・考察です。(分人=ぶんじん)
家族、友人、上司、同僚、コミュニティごとにわずかに変化する自分(分人)。さまざまな分人から成り立つわたし。その中には好きではない分人もいる。しかし、分人ごとにピリオドを打てば不快を引きずることはない。絶対的な自分(個人)を決めつけず、好きな分人を集めることで、自分が好きになれる。
分人思考に気付けば生きやすい世界が広がります。
1.個人はさらに分人に分けられる
人は「個人」を漠然と捉えすぎている。
たったひとつの、
「本当の自分」など存在しない。
裏返しで言うならば、
対人関係ごとにみせる複数の顔が、
すべて「本当の自分」である。
分人は、個人よりも単位が小さいだけに、
一見コミュニケーションはより複雑化するかに見える。
しかし、
実際は個人というおおまかな概念のために、
かえって細かな配慮を要請され、
他人との関係を難しくしてしまっている。
2.悩みの半分は他者のせい、分人の集まりがわたし
自分とは、
分人の集合体として存在している。
分人とは、
他者との出会いの産物であり、
コミュニケーションの結果である。
他者が居なければ、私の複数の分人もなく、
つまりは、
今の私という人間も存在しなかった。
分人の中には、
ポジティブな分人もあれば、
ネガティブな分人もある。
分人が他者との相互関係によって生じる人格である以上、
ネガティブな分人は、
半分は相手のせいである。
ポジティブな分人もまた、
他者のおかげなのである。
他者もまた、分人の集合体であり、
あなたと接する相手の分人は、
あなたの存在によって生じたものである。
3.好きな分人を中心に据えることで自分が好きになる
重要なのは、
常に自分の分人全体のバランスを見ていること。
いつだって自分の中には複数の分人が存在している。
もし、一つの分人が不調を来しても、
他の分人を足場にすることを考えれば良い。
「こっちがダメなら、あっちがある」
でかまわない。
そのうちに余裕が出た時には、
不調を来している分人の扱いをどうすべきか、
改めて考えれば良い。
人はなかなか自分の全部が好きだとは言えない。
しかし、
あの人といる時の自分(分人)は好きだ。
とは、言える。
逆に、
別のあの人といる時の自分(分人)は嫌いだ。
とも、言える。
好きな分人が一つでも二つでもあれば、
そこを足場に生きていけばいい。
誰かといる時の分人が好き、
という考え方は、必ず一度他者を経由する。
自分を愛するためには、
他者の存在が不可欠だという、
その逆説こそが、
分人主義の自己肯定の最も重要な部分である。
好きな分人が一つずつ増えていくなら、
私たちはその数だけ自分に肯定的になれる。
なぜ人は、ある人とは長く一緒にいたいと願い、
別の人とはあまり会いたくないと思うのだろうか。
それは、相手といる時の自分(=分人)が
好きか、嫌いか、ということが大きい。
その人と一緒にいる時の分人が好きで、
もっとその分人を生きたいと思う。
コミュニケーションの中で、
そういう分人が発生し、
日々新鮮に更新されていく。
だからこそ、
互いにかけがえのない存在であり、
相手に感謝する。
4.考察
分人思考を理解すると、
完璧を目指さなくてもよくなる。
クヨクヨする自分、
堂々としている自分、
やさしく親切な自分、
礼儀正しい自分、
横柄な自分、
怖くて、怒りっぽい自分、
私にもたくさんの分人が存在する。
私は「礼儀正しくて、やさしく、親切な分人」が好きだ。
だから、それが叶う人間関係を増やしていく。
私は職場に合わない人が居て、出勤できない時期があった。
その時、自宅では健康体だった。
自宅での分人は問題なかったのだと、いまは理解できる。
対人関係の中で生きる私たちは、
所属するコミュニティ次第で、
理想とする分人、
理想としない分人、
を形成する。
理想としない分人が増えていくと、
いずれは心に影を落とす。
まずは、理想とする分人探しが先決だ。
すぐにはみつからないかもしれない。
でも、人間はいつでも変われるチャンスを持っている。
そのために、
読む本を変えること。
環境を変えること。
付き合う人を変えること。
分人の構成比率が変わっていけば個性が変わる。
そして、人生が変わる。
好きな分人を一つずつ増やして、
ワクワク楽しい時間が一秒でも長く続くような人生を共に歩みましょう。
この記事が自分探し、人間関係の一助になれば幸いです。